*良い名前を見つけたら変えます*

期間工 大学生 英語 読書 筋トレ

人生の棚卸 就活編

高校時代

短期大学入学

短期大学休学 1年間

6ヶ月間 愛知県の工場で期間工

4ヶ月間のフィリピン留学

短期大学復学

就職

1ヶ月でクビ

4年生大学編入試験合格

事件起きる

1年間 愛知県の工場で再び期間工

4年生大学編入

卒業

就活

就職

現在
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今回は就活編

私が就職活動を開始したのは大学3年次の冬。

「給料がいい場所、専攻(英語、会計)を活かせる場所、今流行りのIT業界、沖縄の外」色々考えましたね〜。

結果的にES(エントリーシート)を出したのは15社、そして内定を頂けたのは3社でした。

3つの内定のうち1つは、IT企業。
ソフトウェア開発、そして販売している会社。

この企業を選んだ理由は「新卒ノースキルで入っても、仕事を通して専門性を養えること」、「本社、支社が東京、沖縄、福岡にあること」の2つ。
結果的にはお断りすることになったけど、人事の服部さんはどこの人事よりも面白かった笑  選考過程でいきなり「沖縄そば食べに行こう」は笑った。


そして2つ目は地元のR銀行。理由は「沖縄の大企業だから」、「地元を金融の面から盛り上げることができそう」の2つ。
まぁ環境としてはいいものがあったけど、「英語」を活用できないところが痛かった。。。
選考から内定まで、一番期間が長かったので、時間と共に思い入れは湧いてきたけど、結局はお断りさせていただきました。


最後の1つは外資系の税理士法人。結果的にはここに就職することになったのですが、理由としては「英語、会計が活かせること」、「大企業なので社内のサービス(研修や福利厚生)が充実していること」、「外資系なので日系企業のようにお堅い( 服装、上下関係などなど)部分が少ない」という感じでしたね。

恐らく税務、コンサルの分野で働いたことがある人はわかると思うが、いわゆるBIG4のうちの一つで、フツーに考えれば琉大卒レベルで税務の知識が全くない私のようなタイプ、時代が違えば絶対に採用されていないでしょうね。。。
まぁでも、運よくその企業が「大量採用」をしていた時期に被りまして、「これから税理士の勉強をスタートし、2020年8月(就活時期は2019年9月)の税理士試験を受験する」という条件のもとに無事内定をいただきました。


まぁこの「税理士試験勉強期」を就活編で書いても良いのだろうか、と考えたが、まぁこれも就活の一つとなるだろうと解釈したことで書かせていただきます。笑


この会社から内定を頂いたその日から税理士試験までの約11ヶ月、めちゃめちゃ勉強しました。

税理士試験を知らない人のために説明しておくと、税理士になるには国家試験に受かる必要があります。

税理士試験には11科目( 法人税法消費税法相続税法などなど)の科目があり、その中で5つ、科目に合格すれば晴れて税理士として登録できる、という試験になっています(他の方法もありますがここでは割愛)。

そして私が受験した科目は、この科目の中でもいわゆる「税理士試験の登竜門」と言われる会計科目の「簿記論」と「財務諸表論」の2つ。


会社の人には「2,000時間勉強すればこの2科目受かるよ」と言われたので、その勉強時間を目指して毎日頑張っていたわけですが、、、、2,000時間!?え、11ヶ月(正確には10ヶ月かな。。)で、、毎日最低でも7時間勉強しないといけんじゃん笑。。。  できるかな。。。。。  って感じでした。




まぁ結果的には11ヶ月で2,000時間超えました。しかし、受験結果は「簿記論 不合格」、「財務諸表論 合格」と半分ホっとして、半分悲しかった、的な感じですね。
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(正の字の1つが1時間でカウントしてます。最後の8月の数字がないのは、本番間近で余裕がなく、記録することを忘れていました 笑)

まぁ晴れて税理士試験を乗り越えた私はこの外資税理士法人で社会人生活をスタートさせることになります。


ほんと、今書いてても思う。19歳の時に愛知県で期間工をしてて、22歳でまた期間工して、時間はたくさんかかったけど、短期大学卒業して、4年生大学卒業して、ちゃんとした仕事?についた現在、、、

まったく想像していなかったな〜


いつも目の前のことはちゃんとやってたつもり。



「〜したいな」

「あ、でも金ないか」

「自分で稼げばいいか。じゃあ出稼ぎいこ」


いつもこの流れだったな笑  ほんと時間かかった。。26歳で新卒入社。同期とは年齢も離れているし、こんな大企業、頭のいい人めちゃめちゃいる、同期もめちゃめちゃ頭いい。自分には場違いな仕事場かもしれんけど、まぁ採用してくれたから、いっか。笑。 俺が仕事できなくても俺のせいじゃないからな! まぁそれなりに頑張るけども。。


今も税理士試験の勉強続けてます。。前回落ちた「簿記論」を今年の8月に取りに行って、その次は「税法」にチャレンジ。「法人税」か「消費税」のどちらかだな。。。

まぁでも正直、USCPAにも興味ある笑  

やりたいことがあるってのはいいことだ。充実充実。幸せですわ〜



まぁそんなこんなで、ちゃんと仕事してます。今の俺。

人生の棚卸 4年生大学編入試験合格

高校時代

短期大学入学

短期大学休学 1年間

6ヶ月間 愛知県の工場で期間工

4ヶ月間のフィリピン留学

短期大学復学

就職

1ヶ月でクビ

4年生大学編入試験合格

事件起きる

1年間 愛知県の工場で再び期間工

4年生大学編入

卒業

就活

就職

現在
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前回の投稿から1週間ですかね。
まだ書くモチベーションはあるので早速書いていきます。

今回は「4年生大学編入試験合格」

話は順序を考えずに文章を書いています。笑 
短期大学卒業の就職、1ヶ月でクビはまたの機会に書きますのでどうぞよろしくお願いします。




まぁそんなこんなで1ヶ月で初めての職を失った私は、「英語以外にもう一つ自分の武器を見つけたい」と考えていました。

そんな時に興味を持ったのが「会計」でした。きっかけは「金持ち父さん貧乏父さん」というロバート・キヨサキさんが書かれた本です。


本の中に出てくる「ファイナンシャルインテリジェンス」(※この本を読んだことのない人ごめんなさい。)なるものを身に付けたいと思ったんですね。そうすれば、お金持ちにはならなくても、ある程度お金に困らない人生は遅れるんじゃないか、また、会計の知識は業界問わずどの会社でも必要な知識なので、「英語」にプラスする専攻としてはぴったりだと思いました。


(まぁ会計を勉強した今は、会計を勉強してもそんなことはないと気付きましたがね笑)

でもまぁその当時は、「会計を学ぶ」ことに前向きだった私は早速その場所探しをはじめました。

O原、TAっく、などの専門学校も考えましたが、結果的には「経営」、「マーケティング」、「会計」が三本柱となっている地元沖縄の琉球大学の産業経営学科という場所を選びました。
琉球大学・観光産業科学部・産業経営学科


理由は①国立なので学費が安い②一応、学士も欲しかった③会計以外にも面白い授業とかあったらそれも受講できるかも、等々ですかね。。


幸運にも、この産業経営学科は3年時編入制度というものを設けていまして、1、2年次で共通教育を終え、3、4年次で専門科目を学ぶ?という流れの学科になっており、短期大学を既に卒業している私にとってはピッタリのレールでしたね。




まぁ良い良いと言っても実際には編入学試験を受け、合格しなければいけないわけで、その日から私の編入試験の勉強が始まりました。

試験は①試験日を設け、社会科学についての小論文を2時間?程度でかく。②試験日を設け、教授3人との面接③英語のスコア(英検やTOEIC)の3つの基準でできていました。


正直③があったことは幸運でした。
高校留学、短期大学で英語を勉強していた当時の私は英検準1級、TOEIC955点を持っていたので、そこは心配なし。
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しかし小論文、そして面接は全然自信がなかったです。なので、「そもそも社会科学って何?会計、経営って何?」ってところから勉強をはじめました。

勉強期間は5月〜10月の約5ヶ月間。まぁまぁ勉強したのですが、試験当日まであまり自信はありませんでしたね。。。

まぁでも、私の一つの考え方として「力をためる時期(勉強でも何でも)はネガティブ思考でよし、しかし、力を発揮する時期(試験当日など)がきたら、ポジティブ志向で、自信を持って」というのがありまして、試験当日は小論文も面接もドヤ顔、ちょっと自信過剰、くらいの姿勢で臨んでいましたかね。。。笑


小論文の題目は「東芝の不正(粉飾決算)はなぜ起きたのか?経営的な視点から述べよ」的なものだったと思う。
面接も「この学部に入って何を勉強したいのか」とか「沖縄の現状についてどう思う?」とかなんか色々喋ったと思う。今振り返っても面接の内容は特に思い出せない。まぁあんまり深いことは喋ってなかったのかな、と思う。笑


受験生は14人いて、枠は4人。
https://www.u-ryukyu.ac.jp/wp-content/uploads/2019/03/66h29special-entrance.pdf

結果は「合格」でした。
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まぁこれまで勉強なんてしたことなかった(実際に英語に関しても座学を始めたのは21歳)私は、まぁまぁ喜んでいたと思います。

まぁ喜んでいた、というよりはホッとした気持ちが一番でしたかね。。。


受験期間の5ヶ月は実家にいたわけで、親もまぁまぁ応援してくれていたわけで(これまで勉強に興味ない私が大学に行きたいなんて言い出したもんで)、周りの友人にも編入試験を受けると言っていたわけで(おそらく当時の友人たちは俺が受かるなんて思っていなかったんじゃないか、なぜなら本当に勉強とは無縁のそれまでだったので。)、、、、、



あ〜書いてたら少しずつ当時を思い出してきた。。。 そうだ、ホッとしてました。

実際に「合格」を一番に伝えたのは父親だった。理由はわからん。多分、母親に最初電話したけど取らなかったのか?、どうなのかわからないけど、、、




まぁ、そんなこんなで春からは4年生大学生になることになった。当時は22歳。


今でのこの成功体験は自分の中での小さな誇りかな。腐っても国立。
実際に卒業した今の私からしたら琉大なんて全然大したことない、と思っているけども。心の底から 笑





それでも何かにチャレンジして、努力して、これまで勉強してこなかった自分に辟易したり、意味わからん!俺の頭ではわからん!と変に突っ張ったりしてたけど、、、

今振り返れば、まぁまぁ頑張ったじゃん、自分、、、って思いますね〜。はい。

人生の棚卸②高校時代 アメリカ留学編

高校時代

短期大学入学

短期大学休学 1年間

6ヶ月間 愛知県の工場で期間工

4ヶ月間のフィリピン留学

短期大学復学

就職

1ヶ月でクビ

4年生大学編入試験合格

事件起きる

1年間 愛知県の工場で再び期間工

4年生大学編入

卒業

就活

就職

現在
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高校時代 アメリカ留学


前回からの続き


アメリカ留学が決まった時の私のスペック

  • 得意教科は体育
  • 留学直近の英語の中間テスト?期末テストは赤点(100点満点中35点以下とかだったと。。)


留学地はアメリカ、メイン州ポートランド、waterにあるMt.Blue high school.

当時のメイン州(今はどうかわからない)は人口の8割近くが白人の地域で、とても田舎だった。

私はホストファミリー制度を活用し、現地の家族と約1年間を過ごすことになるのだが、その家族が私にすごくマッチしてた。
家族は、母親、息子3人の4人だったが、長男のCodyは当時既に家を出ており、実際の生活は私を含めた4人でのものだった。

次男のJoshが当時の私と同い年の17歳、そして三男にMatthew(でかい方 笑)
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次男のJoshが日本文化(マンガやアニメ)に興味があるということで日本人の留学生を受け入れることになったらしい。

とにかくこのJoshにはたくさん助けられた。友達作り、部活、宿題、なんでも。

Joshはブロンドで、痩せ型、特に青い目が特徴のいいやつだった。今でもあんなに綺麗な青色の目を見たことがないくらい。

当時のMt.blue high schoolには私を含め、ブラジル、ノルウェーベトナム、中国、フランス、スペイン、ベルギーの8カ国からの交換留学生がいた。

いつもというわけではないが、よく一緒にいたのがブラジル人のDanielとNorwayからのEric。ベトナムからのQuanは勉強熱心だったので、放課後に一緒に遊んだりすることはなかったが、クラスが一緒の授業ではよく一緒にいた。

アメリカ留学では現地のアメリカ人の友達といるよりも、他の交換留学生といる方が何か心地よかった気がする。やっぱりお互い第二言語として英語をしゃべるので、よく耳を澄まして聞いてくれるし、言語意外にも、異国で生活しているという境遇も一緒だったからかな。。どうだろ

まぁそんなこんなで、私は家ではJoshやその家族、外では他の交換留学生との会話のなかで英語を学んだので、英語の発音は色んなアクセントが自然と身についた。時はブラジルなまり、時には北欧の人のアクセント、時にはアメリカ、時には日本語、という感じだった。

冒頭にも行った通り、白人の多い田舎の地域であったため、差別?的なことも普通に経験した。

体育の授業でのチーム決めで、「アジア人は数学は得意だけど、運動はできねーだろ」とか、「目がシャープ(細め?鋭い?)で起きてるのか寝てるのかわかんねー」とかだったかな。まぁでもそれよりも黒人を揶揄するようなジョークの方が多かったのは事実。悲しいっちゃ悲しいけど、人種差別ってこんな感じか〜とフツーの感想が出てきてたかな。

まぁ当時の私は早熟で体もそんなに小さくなかったし、運動神経には自信があったし、特にそんな差別に悲観することなく自由な姿勢でいたと思う。

夏はサッカー、冬はフットサル(Indoor soccer)、春は陸上、色んな部活に入ったけど、やっぱり運動がある程度できることでそんなに舐められたりはしなかったが、やはり英語はネイティブと比べると全然なので、たまにいじられた。Really?とかalreadyとかGirl、canとcan'tとかあげればキリがないけど 笑

「あ、おれ結構喋れてる?」と感じることができるようになったのはおそらく留学7ヶ月目くらいだったと思う。留学前にもっと真面目に勉強しておけば3ヶ月くらいで慣れてただろうけど、まぁ過去を悔やんでも仕方ない。その時はそのくらい時間が掛かった。

アメリカ留学での経験を文字にするってめっちゃ難しいな。頭の中にはたくさんストーリーがあるのに、タイピングが難しい。

まぁ簡潔にいうと、私はこの留学で二回りくらいは成長したと思う。精神的にも身体的にも(実際約1年で10キロ太った)。

この時から、多様性とかコミュニケーション能力とか、度胸とか、感謝とか、色々学んだな〜。

でもこんな機会だから1つあげると何だろう。。。

一つ。。。。。。   


一つは無理だ。

全部同じくらいの感覚で覚えてる。

まぁ、そうだな。国は違ど、人種は違えど、言葉は違えど、道徳は一緒だったかな。多分。

アメリカ留学、1回では書き切れないですね。すいません。
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明日は月曜、仕事なのでもう寝ます。。(じゃあ時間ある時にブログ書けよ!って何か一人ツッコミ。)

人生の棚卸

高校時代

短期大学入学

短期大学休学 1年間

6ヶ月間 愛知県の工場で期間工

4ヶ月間のフィリピン留学

短期大学復学

就職

1ヶ月でクビ

4年生大学編入試験合格

事件起きる

1年間 愛知県の工場で再び期間工

4年生大学編入

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自分の人生の棚卸も兼ねていろいろ振り返っていきたいと思います〜。

今回は【高校時代】

高校は地元の一番近い高校に通った。

特に目標や夢というものもなく、なんとなく、高校に通うのが普通だと思っていたからですね。

唯一楽しみにしていたのは、中学から始めたサッカーくらいですかね。。その高校のサッカー部も3学年でそこそこ?70人くらい?はいる部活だったので、まぁまぁ大きい集団だったと思う。

実際に入部?して練習をしてみると全然面白くなかった。なぜかというと、私の思い描いていたサッカーとは、仲の良い友人たちとワイワイ楽しくやるサッカーだったから。

なんか、知らない人たちとやってるサッカーがつまらないと感じてしまった。加えて、小さい時から無意識なのだが態度がでかい(らしい、自覚なし)のが理由で高校でも面倒くさい先輩たちに絡まれましたね。

そこで黙ってヘラヘラしているタイプでもないので、まぁまぁ強気の姿勢で対応しました。そしたらそこにいた4〜5人の先輩たちが黙っちゃったので、これで「ツマンネ〜」に拍車がかかりそのままフェードアウト。

なんかその後、部活の顧問と止める理由について少し話した記憶もあるようなないような。覚えていないので、多分「やめます。」、「わかった」くらいのやりとりだけだったと思う。

そっから唯一の楽しみもなくなった私は、放課後に中学時代の友だちや、出来立てのフットサル同好会で楽しく遊んでいました。

まぁそれでも「何かないかな〜、面白いこと」的な姿勢でいた私はふと、「あ、アメリカにでも留学するか」と考えその勢いで親に相談。

母親は大賛成、父親は大反対。

母の大賛成は、彼女のお姉さんがアメリカ人と結婚して、いとこもアメリカにいるし、お金は出すからいってきたら。的なかんじ。

父の大反対は、「高校もたまにいかなかったり、休日も寝て、遊んでばっかりのお前が急に何をいってる。現実逃避じゃないのか。」的なかんじ。

まぁ色々あったけど、結果的にはアメリカに交換留学制度を使って留学することになった。

その時は17歳で、今から9年前、当時は色々な感情があったかと思うけど思い出せない。多分、実際の留学経験が濃ゆかったからだと思う。色々思ってたことがあってもその近くに濃ゆい記憶があるとその前後のことは思い出せない、的な感じなのでしょうか。


アメリカ編についてはまた記事を改めます〜

かむばっく

久しぶりにはてなブログに帰ってきました。

 

理由はなんとなく。

 

これまで書いてきた記事は3年以上も前。

 

振り返ると今日まで、あの頃の自分が予想もしなかった人生になってる。

 

愛知での期間工を経て、地元の大学に編入学し、就活をして今は新卒で社会人8ヶ月目。

 

何から書いていいのか、わからない。。

 

とりあえずもう一回自己紹介からしときます〜

 

こうしてTOEIC955点取りました。

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TOEICで高得点を取るために私が実際に心がけたこと

 

TOEICを受ける上で大事なことは TOEIC=ビジネスイングリッシュ” ということを知ること。

 

②手っ取り早くスコアを上げるには、”英語を勉強する”というより”TOEICを勉強する”という意識を持つことが大切。

 

TOEICで使用される単語に限りがあるということ。

 

④リーディングパート、リスニングパートをそれぞれ個別に研究する。

 

 

TOEICはそんなに難しくないです。時間をかければ誰でも高得点取れます。ただ、しっかりと作戦を立ててやれば、です。私の最初のスコアは700点(2015/2/15)でした。そんなに急がずに、ゆっくりと約1年かけて900越え(2016/1/31)を果たしました。約1年かけた理由として、TOEICをストレスなく、自分のペースで、目標を超えることを目指していたからです。使用した参考本は5冊です。 

 

1 TOEIC TEST 出る単特急 金のフレーズ (著)TEX加藤

 

2 TOEICテスト新公式問題 Vol.4 (著)一般財団法人国際ビジネスコミュニケーション協会

 

3 TOEOC TEST リスニング TARGET900 (著)森田鉄也

 

4 TOEIC TEST 語彙・熟語・コロケーション1000問ドリル (著)ユ・スヨン

 

5 メガ模試 TOEIC TEST リーディング1200 (著)キム・デギュン

 

断言できます。これらすべてを3周ほどすればスコア900の壁を超えることができます。